ちょっと怖くなった

翻訳の中の文章から

補償で適切なお金を支給してくれる。
보상으로 적절한 돈을 지급해 준다.


この文章の使い方に怖くなった。
これだけ見たときにどういう文章を想像するだろうか?
何か被害を受けてそれを補償するという文章かと思うのではないだろうか?
しかし、この一文が使われていた文脈は


依頼で仕事をしたら、補償で適切なお金を支給してくれる。


という流れであった(今やっている仕事の内容がバレる危険のある文章だったので一部手を入れている)。
これを見たとき、日本大使館の前で毎週行われているという慰安婦だと名乗るおばあさん達の集会というのを想像してしまった。
韓国人にとってはあれはやはり「仕事」なのだろうか。
少なくとも言葉上に区別がついていないというのであれば、思考でも区別は無いか、あっても曖昧だろう。
例えるなら「暑い」と「熱い」みたいに違う概念で、漢字で書けば書き分けられる単語も大和言葉で一つの単語の場合、「温度が高い」という共通点で頭のどこかで結ばれている。
彼らにとっては「お金を払わせる」というくくりで「保障」と普通に働いてお金を貰うことがごっちゃになっているのではないか?と思うと怖い。
こういうことを言うと韓国人は必ず
「そんなことはない」
というが、彼らは何でも「ケンチャナ、ケンチャナ!(大丈夫)」と言いながら、全然大丈夫じゃない人達である。
特にプライドを傷つけられると感じられることについてはそれが事実かどうかを考えずに、とりあえず本能的に否定してしまうという特徴がある。
だから聞いても「そんなの区別がついているに決まっている」と言うだろう。
でも、本当に区別がついているのだろうかと思うと怖い。