思い出話

眠れないので思い出話でも書いてみようかと思う。


今回の仕事で韓国出張が開始された頃にいろいろな人からメッセンジャー等で、
俺が韓国に住んでいた当時に勤めていた会社が潰れたことを聞かされた。


俺の正直な感想
悪が栄えたためし無し!!


潰れちまったわけだし、多少言及してもいいだろ的なノリで書きたかったけど書けなかった事とか書いてみる。


俺が勤めていたのは、韓国にある소■트액■(やっぱりちょっと伏字)というゲーム会社だった。
日本語にするとソフ■アクシ■ンね。
一部のゲーム好きはこの会社に聞き覚えがあると思う、悪評で。


俺が言葉もわからないのに単身韓国に乗り込んだ頃の話になる。
ここらへんの日記に書いてあるんだけど……
俺が会社に入った時に、隣の席では一部に熱狂的ファンを持つ、某ロボットゲームのPS2版移植のマスターアップが行われていた………。


AバグSバグでもあったのか、何度か部長がマスター用のデータを作り直していた。
俺は入る前のことは知らないんだけど、この時点でメインプログラマーは辞めていて、
そういう作業ができるのが部長しかいないらしかった。


大変な状況だったが、通訳のお姉さんを通してだったか、翻訳サイトを使ってだったか部長は俺に教えてくれた。
「こんな酷い物が発売されれば、大変な騒ぎになる。」と………。


果たして、そのゲームは発売された。
自分は関わっていなかったものの、自分が入った会社が開発を担当したゲームという事で
ネットで評判をちょっと見てみた。


部長の言葉は最後の部分まで現実になっていた。
割られたディスクの写真をサイトのトップに貼り付けた批判サイトがそこにはあった。
2ちゃんねるをみれば、スレが炎上していた。
よく知らない人物だった社長の経歴も批判サイトで出ていた。
ついこの前あったばかりの発売元の人も名指しで攻撃されていた。
AA まで出来てた。この前であった人が AA まで作られていてちょっと恐ろしかった。
今考えると惜しいのは社長の顔写真が日本のメディアには露出していなかった事だろうか、
AA にしたら絶対面白い顔なのに。


そんな状況を見て、自分が製作に関わっていなかった事に安堵すると同時に、
同じ発売元からの次の仕事のメイン担当が自分であることに恐怖を覚えていた。


まあ結局、その時の仕事は発売元の方から蹴られてポシャったんだけどね。
6ヶ月でほぼゼロから PS2 のゲームをプログラマー一人で作れって無理な話でしたわ。
データも仕様も何も無くて、似非移植をして韓国のみで発売した PC 版のソースとかから抽出したり、オリジナルを遊んでみてシステムまで理解しなくちゃいけなかったり、単純にプログラムだけ書いていればいい状況じゃなかったので本気で絶望的だった。
逆に上手く行っていたら俺もその某ロボットアクションゲームと同じ道を歩んでいたんだろう。
ちなみに、俺が担当でポシャったタイトル自体は別の外注を使ったらしく後から発売されていたと思う。


まあ、俺が居たのはそんな会社だったわけで。
辞める前にはまたしても無茶振り(2週間くらいで 3D-RPG ゼロから作れ命令)があって、
本気で必死こいて(結局3ヶ月くらいかかったけど)やり抜いたら
社長から「お前会社で寝てるナ!?」とか言われて本気でキレかけた事とかもあって……
それも今はいい思い出に………ならねーな、思い出すだけでイラっと来る!!


それと本当に余談だけど、批判サイトには
「あの酷いサウンドは開発会社の社長が作業したに違いない」と書かれてましたけど、
それを読んで周りに聞いてみたら違ったそうです。
当時、既にあの社長は音作りの作業とかはしていなかったので間違いないらしいです。
でももしかしたらチューニングとかで口出ししてたのかもしれないけど。


そろそろ眠くなってきたので今日のところはこんな話だけで終了。
眠れなくて当時の事をちょっと思い出していて、
渡航前に「いい部屋に住ませてやる」と言われていた部屋で
中古の冷蔵庫がしょっちゅう止まるらしくて床がびちょびちょになっていた事を思い出したりしてて、ついついこんな昔話を書いてしまった。
いやー、そろそろ本気であの当時が「昔」って思えるようになってきたなぁ。