呪いの人形には心があるかもしれない。

↑を考えていて思った。
"呪いの人形には心があるかもしれない。" と。
心はきっと生きていくために必要だから獲得した器官の一つなのだと思う。
地上で生きる動物に肺が必要なのと同じように、
水中で生きる魚にエラが必要なのと同じように、
もっと原始的な生命体の時点で、生きていくのに必要だから獲得した器官のひとつなのだと。


路上に転がる石に心はない。
本当だろうか?


それが生きていこうとしているのなら、実は心があるんじゃないかと思う。
それが生きていこうとしていないのなら、心はきっとないんだろう。


さて、じゃあ無機物だからといって必ずしも心がないとは限らないのではないだろうか?
砂漠の真ん中に人形を放置したら、きっとすぐに跡形もなくなると思う。
でも、誰か小さな子供に好かれている人形はそれよりずっと長持ちするような気がする。


何故か?


生きていこうとしているのだ。
人間のそばにいる人形だけが、生きていこうとしている。
正確に言えば、そばにいる人間がそうしている。


無機物にも心がある。
それはその無機物に関心を寄せる生き物の心に寄生するかのように存在するのではないだろうか?


事実、呪いの人形と呼ばれるものの多くは、
気味悪がられながらも、壊されずに残っている。
それは彼らが生きていこうとする心を持っているからかもしれない。。。



ってなんかイケてない稲川淳二みたいな文章になっちゃったぞw
真剣に人間の心を哲学的に考察してみたつもりだったのにwww