知人のお通夜に行ってきた

ある地域密着型 SNS で知り合った方が難病と闘病した末亡くなったのでお通夜に行ってきた。


実は、もうおそらく一年以上その SNS にはログインすらしてなかったんだけど、
恐らくはなくなる直前になる時に、何故か気になってログインして日記を読んで
「まだ頑張って闘ってるんだ。」
って思った数日後に訃報メールが来たのだった…………。


その SNS でのマイミクみたいな物だったし、Off会で何度かあってて、
日記にコメントしたり、してもらったりする人だったけど、
そんなわけで一年以上もあってないし、俺は何もしてあげなかったので、
お通夜に行くほどの間柄でもないかもしれないと思ったんだけど……。


なんとなく、本人に呼ばれているような気がして、
遅すぎるけど、それでも今行かなかったら後々まで悔やまれるような気がしたので、
ちょっと早めに帰って(ウチのコアタイム的には早退にはならない時間だけど)行ってきた。


なんとも……ツラいもんだね。


最後にご両親と思われる人が
「ありがとうございました。」
って泣きながら言ってた。


娘に先立たれる悲しみ苦しみはいかほどのものだろうか。
俺にはその100分の1だって感じることはできないだろうけど、
それがとてつもなくツラいものだろうということだけはわかる。


帰ってきてから、その人の日記をちょっと前から読み返してみた……。
気丈に振舞って書いているけど、闘病生活はやはり相当苦しかったんだろうという事が思い計れる。
ダーツが好きで、ちょっとした大会でいい成績を収める人だったんだけど、
最後のほうには「もう腕があがらないから本気で投げられない」みたいな事も書いてあった。
ツラかったんだろうな……。


そういえば今朝は、彼女が行きつけのダーツバー(俺の通勤の道の途中にある)のドアに
営業開始が遅れるという張り紙があった。
お店の人もお通夜に行ってたんだろう。


つい先日、ウチの父の事があったばかりなので、
人の命についてとか旅立っていく人の気持ちについて、残される人の気持ちについてなんかを
色々考えさせられている。


今もどこかで誰かの人生が終わっていて、
誰かの人生が始まっている。


自分もいつかは『終わる』のだし、それがいつなのかは神様に委ねるしかないのだけど、
だからこそ一秒一秒を悔いなく生きれたらと思う。