父の身体が冷たい

朝、監察医からの電話で解剖の結果の説明を母親が受けた。
父の死因は間質性肺炎で、肺には水が溜まっていて溺れているような状態になっていたという。


姉夫婦も朝のうちに来た。
母方の親戚はだいたい近くに住んでいるので、叔母さん夫婦とかが来てくれた。


午前11時くらいだっただろうか、父の亡骸が運ばれてきた。
なんだろう……父の肩幅が狭い……。
そういうふうにする物なんだろうか……。
顔しか出ていないから、顔しか見れないけど、間違いなくウチの父親の顔だ……。


どうやら間違いないらしい…………………。


解剖もしてるから、奇跡の復活なんてのもないんだろうな…………。
父のいない世界…………。
そんなもの想像できる?


よく解らないまま、お線香をあげる。
一度葬儀屋さんは帰って、午後にまた来た。
午後からは、すぐに争議の打ち合わせ。


母と姉貴が
『お父さんどの色が好きなのかな?』
とか言ってる。
母とお姉がこれがいいって言った物が、
お父さんが一番いい物なんだよ……。


長い打ち合わせも終わって、葬儀屋さんが帰った。
今日が家族だけで過ごせる最後の夜だと言う。
親戚も、姉夫婦もまた一度帰った。


実家には父と母と俺だけ。


建替える前だけど、今の実家の場所に引っ越してきた日。
俺はもう中学一年にもなっていたにも関わらず、
何故か落ち着けずに父と母の間に布団を敷いて寝たっけ。
ウチに居て、父親の横で寝たのはそれが最後だったかもしれない。


実家では普段、二階の自分の部屋で寝るけど、今日は一階にいた。
ぐるぐる巻かれた線香もついてるから寝てもいいって話だけど、なかなか眠る気分になれなかった。
少しでも父と一緒にいたかった。
母親もなかなか眠れないようだったけれど、二時過ぎくらいにちょっと眠ったようだ。
朝方、今度は俺がちょっとウトウトしたら母親が起きたようだった。


父親と二人だけの時間が何度かあった。
本当に眠っているだけみたいだし、目の錯覚や、自分の呼吸の音なんだろうけど、
胸が上下してるように見えたり、息をしている音が聞こえたような気がしたり、何度もそんな事があった。
口元に手をかざしたり、顔に触れたりして確かめてしまう…………。
息もしていないし、顔はとても冷たくなっていた……………。
今日は何度か、声を上げて泣いた。


きっと今は泣いてもいいんだと思う。
今まで、何の不平不満も言わずに家族の為に働いてきてくれた父親。
俺は何一つ孝行できないまま、61歳で何の前触れもなく突然逝ってしまった父親。
子供の頃は優しさだけしかわかっていなかったけど、大人になっていく中で、
その強さがわかってきて、密かに胸の中で自分の目標としていた父親。


いつかはこんな時が来る事はわかっていたけど、
もっと前もってわかるものだと勝手に思っていた。
普段は気恥ずかしくて言えないから、そろそろって時が来たら、
「今までありがとう、長い間お疲れ様でした。
 俺が世界で一番尊敬する人はお父さんだからね。
 お父さんの息子に生まれて本当に良かった。
 とても幸せだったよ。ありがとう。」
なんて言おうと思ってたけど…………。
突然過ぎて………俺は最後を看取ることさえ出来なかった……………。
馬鹿過ぎる息子でごめんなさい。
なんで生きてるうちに伝えなかったんだろう…………。


本当に親不孝で迷惑かけっぱなして心配させっぱなしで…………。
感謝の気持ちすら何一つ形にできなくって…………。
その感謝の気持ちがどうしても目から涙になって溢れ出てしまう………。


姉貴がギリギリ果たしてくれたけど、俺は孫の顔すら見せてあげられなかった………。
母親が言ってたけど、最近は仕事帰りに姉貴の所によって、孫の顔を見に行く事が何度かあったらしい……。
父も、おじいちゃんとしての幸せをほんの二ヶ月だけでも噛み締めていたんだと思う。


でも、そんなに元気だったのに突然なんで………?


実家のテレビを地デジ対応の液晶にしなきゃいけないなんて話を前にしていて、
俺が今すぐのテレビとちょっと先の平地の一軒家とどっちが欲しい?なんて母親に言った話があって、
姉貴は「お父さんもあんたが家買ってやるなんて言うようになって嬉しかったと思うよ。」って言ってくれたけど、
俺は結局、何もできなかった。
勝手にまだまだ先だって思い込んでた。
すぐにでも、家は無理でもテレビくらい買って、もっと安心させてあげれば良かったのに………。


そんな事をいろいろ思うと、どうしても涙が出てしまうんだ。
きっとまだまだ全然安心させてあげられるような息子じゃなかったと思う。


お父さんの目には、俺はどんな息子にうつってたのかな?