マッチョは殺伐とした世界に生きているのだろうか?
必ずしもそうではない部分があるように思う。
マッチョの考え方って何だろうと思い始めてから、
ちょっとだけ心が楽になるかもしれない考え方をするようになった。
それは今の自分の環境に対しての考え方。
今の環境はいくらでも嘆くべき部分がある。
同情を求める余地もある。
でも、嘆いて同情を求めて、何が変わるんだろう?
人は生まれを選べない。
もっと金持ちに生まれたかったと思っても、
実際に生まれたのは今の自分の環境だ。
自分の親はああだった、家庭環境はああだった、教育環境はああだった。
いくらでも嘆けるし、確かに当時の自分の責任でもない部分に問題があったかもしれない。
でも、嘆いても何も変わらない。
それどころか、自分より不幸な奴だっていくらだっている。
自分より幸福な奴がいくらだっているのと全く同じように。
それはそれで受け入れてしまうしかない。
そういう環境があって、それで今の自分に何ができるのか?
そこからが本当の自分の闘いなんだ。
更に言えば、子供時代はともかく、今の自分の環境は自分で選んだものだ。
職業選択の自由があるこの国で、双方同意で選んだものだ。
この環境を嘆くのは、自分の選択を嘆くのと同意になる。
俺は上司を直接は選べないけれど、今の環境を選んだ自分の選択の結果なのだから、
俺がこの上司を選んだことになる。
上司に問題があると思うのは自由だ(冷静な判断はいつでもするべきだ)
でも、問題がない上司なんかいない。
この上司の下でどう動けばいいのか、それを考える。
心底この人の下じゃダメだと思ったんなら、どうしたら変えられるのか考える。
でも、そんな時は一度くらいは問い直そう。
自分は問題のない部下だろうか?と。
問題のない上司がいないように、問題のない部下もまたいないんだろう。
自分はどんな部下だろうか?
はっきりいって自分は客観的にみても問題点をたくさん抱えていると思う。
解決できる問題点は一個ずつ解決していってるけれども。
そんな自分が一方的に上司だけを弾劾していい理由がない。
いつでも冷静に判断すべき対象は他人だけじゃない。
自分のこともそうだ。
それでも決断すべき時は依然ある。
ただ、今が本当にその時なのかどうかはよくよく慎重にならなければならない。
これも「俺が選んだ環境か。」「俺だってそうだよな。」と思えば全然違った世界が見える。
会社っていう仕組みが嫌なら、起業すればいい。
それだけの知恵と勇気と力がない自分を認識すればいい。
マッチョの世界には環境への感謝と正しい自己認識があるかもしれない。