はてなダイアリー終了のお知らせ

これみつけた


2019年春「はてなダイアリー」終了のお知らせと「はてなブログ」への移行のお願い
http://d.hatena.ne.jp/hatenadiary/20180830/blog_unify


そうか、遂に終わるのか。
ここまで長かったな、頑張ったな。ありがとう。お疲れ様でした(少なくとも今年中はまだ終わってない)。
よし、じゃあはてなブログに移行しよう。。。


public: typedef Takel::Blog Observable;


あー!もう並行して作っちゃってんじゃん。。。
はてなサブアカウント機能はすごくありがたい機能なんだけど UI/UX 的はちょっと使いづらいし
幸いな事に記事は二つしかなかったので手動で統合できそうだけど
がっつりやってたらサブアカウントか、本当の複垢かして移行しないとダメなところだったな。


ちなみに移行に際して特に気になったのは「はてなブログは export できる?」という点。
今までそれなりに安心してはてなダイアリーを使い続けてこれたのははてなダイアリー
はてなの日記データ形式, Movable Type形式, CSV形式 という3つの形式でエクスポート可能で
もしはてながサービスをやめたりポリシーを大きく変更してここでは続けられないと思う時がきても
今まで書いたものが無駄にならない可能性が高いという判断が大きかった
(なので気が向いた時に程度で数年に一度ではあるものの過去分をたまにエクスポートしてた)。


で、はてなブログはどうなの?という点。


はてなブログは記事本文を Movable Type 形式でエクスポートできる
記事本文とコメントのテキストデータのみ画像類は自力管理, コメントはインポートするとゲストユーザーによる投稿扱い, はてなブックマーク, はてなスターは移行できない)
http://staff.hatenablog.com/entry/2014/08/22/180000


https://www.yururimaaruku.com/entry/export
こちらによると現在は ブログの管理画面→設定→詳細設定 の位置にあるそう。


CSV 形式がなくなってしまっている点はちょっと気になるものの、
エクスポート機能があるのかどうかもよくわからない他社サービスよりはマシなのかな。


で、実際やろうとしてみたら

はてなダイアリーのインポートが集中しているため一時的にインポートの新規受付を停止しています。大変申し訳ございませんが、数日おいて再度お試しください。


おい!

あるエンジニアリング上の奥義の話をしよう。


何か(システムなのかサービスなのかアプリなのかツールなのか等は一旦置いておく)をデザインする時、
意識したほうがよい事がある。


その何かを使うことになるユーザー群のある性質なのだが

  • 不特定多数(拙い英語だが many and unspecified people としておく)
  • 特定少数(拙い英語だが specific few people としておく)

この二つに大別できる。


もっと分類していけば特定少数は比較的固定的な特定少数と比較的流動的な特定少数に分けられたりして、
そこでいろいろ考える事もできると思うがここでは一旦最初の大別だけで話を進めよう。


不特定多数はとにかくあらゆる方向性で玉石混淆で特徴づけられないのが特徴である。
善い奴も悪い奴もいる。
頭の良い奴奴も頭の悪い奴もいる。
もし分類したときこちらに分類される場合、このままじゃつらいから別の視点で/別の観点から、もっと絞り込んだほうがいいと思う
(それは何かを得る為に何かを失う判断になるかもしれないが、その判断をしなければ全てを受け入れる覚悟を暗黙的にしているのと同じだ)。


特定少数は相対的に、何らかの特徴を捉えられる可能性があるのが特徴である。
職場でローカルに使われるツールであればある程度までは性善説寄りに寄ってもよい
(悪意をもって行動した奴は例え法人対個人でもちゃんと責任を問われるだろう。それでももちろん過信妄信盲信はしないのがセキュリティである)。
使うのに一定の情報が必要でもよい。
知らない人は部外者で使ってほしくない可能性があるから、その情報がわずかな量なら望ましいくらいだ。
どんな人たちなのかもっと詳細に限定していく事で無駄なくよりよい形にする方法が見えてくると思う。


自分が最初にこの観点に気づいたのは多分、ポート番号について考えていた時だったと思う。
不特定多数向けには well-known port そのままが向くし、それ以外という選択肢をとろうとするなら明確に理解できる理由、利点が必要だろう。
特定少数向けにはむしろ well-known port を避けてどこか別の番号を割り当てる事にも利点があると思う
(もちろん欠点もあると思うので何を取って何を切り捨てるかの話の中で上手いやり方の可能性が高そうだという話だが)。


それにしても最近、何を考えるにしても何を捨てて何を取るかだとか明確な分類はこうではないかとかそういう観点がすごく多い自分がいる。

ハードボイルド哲学

覚悟、か……。
ハードボイルド、だな……。


『自分の正義も貫けないほどダサかったら、生まれてきて死んでいく意味さえわからなくなるね!』


結局自分は今も昔も頑ななのだ。
他人からの評価を気にしている素振り、柔軟な素振りを見せても
最後には自己評価以上の評価基準を持っていない。


斜に構えたままなのは己自身じゃないのか?


自分自身の中にある正義が綻び始めていないか、常に鑑みる視点はまだ忘れてはいないようだ。
だが、よし正義だと思った時こそ鑑みなければならない。


脆くならないまま、頑なさを悪徳にしない方法は
まだ考え続けなければならないようだ。

斜に構えることの何がカッコ悪いか

真剣勝負は負ければ死を意味する。
勝てずに生き延びる為にはカッコ悪い逃げを選択するしかない。
斜に構えた態度はそのカッコ悪い逃げからすらも逃げている。


もうとっくに死んでいておかしくない状況なのだ。
そうでなければ非力で惨めで最低な自分を受け入れるしかない。
本当に気が付いていないのか、気が付いていないふりをしているのかは知らないが、
実際は敵が情けをかけて見逃してくれているのだ。
己の弱さを受け入れて必死の覚悟で再起を誓うならまだわかる。


その状況でさえ涼しい顔をする事はカッコいいか?


余力はない、ゼロでもないマイナスだ。
なぜ涼しい顔ができるのか?
その無礼は負けるカッコ悪さ、逃げるカッコ悪さなんかと比べ物にならないほど遥かにカッコ悪い。


カッコ悪い自分から抜け出したいなら、そんな状況の時はもう斜に構えてはいけない。
決死の覚悟で己を鍛えなおせ。

周りのみんなは自分より随分と頭がいいと気づいたあの日

自分はどうやら周りの人達と比べて、随分と頭が弱いのだ。
周りの人たちをみていると、すごく難しい問題をざっと鷲掴みにしてひょいと放り投げているように見える。
とんでもない化け物達だ。
それに比べて自分の頭の弱さときたらどうだ?
とても同じ真似はできそうもない。
それでもこの化け物達と渡り合って生き抜くためにはどうしたらいい?


自分にとって、周りの化け物達に対抗する武器となり得るように思えたのは理詰めで考える事だった。
頭が弱いからこそ、
一度に多くを把握できないからこそ、
感覚だけで把握するのではなく、理屈を積み重ねる。
理屈を武器にして把握するのだ。


理解できる小さな仮説を積み重ねる。
積み重ねて勝てると思える仮説が立てられればよい。
勝てると思える仮説が立てられなければ、別の視点から始めて仮説を積み重ねる。


もしも今の自分のもてるあらゆる視点からの仮説群のどれ一つとして満足がいく仮説に思えなかった場合は、
もっともマシに思える仮説で、腹をくくる覚悟……ダメだった時に自分のケツは自分で拭く覚悟を決めて大博打に出るのか、
それとも潔く敵わない事を認めて、相当にカッコ悪いが、生き延びるために逃げ出すのか決める。


覚悟だ。


もう子供のころのように斜に構える事がカッコイイとは思えなくなった。


己の信じる武器を常に鍛え続け、覚悟を決めて化け物達と渡り合う。
本当に敵わないと思った時はカッコ悪い事を自覚してでも、生き延びる為に逃げ出す程度の狡賢さも併せ持つ。


これでなんとか現実を今まで生き延びてこれているものの、
化け物がその気になったら潰されたであろう状況を、
どれだけ見逃されてきたか、許されてきたかを考えれば、斜に構える無礼などもはや許されると思えない。


幸いにして、己が武器と決めて鍛え続けてきて、今後も鍛えることを怠らないと決めている理詰めは
見当外れではなくそこそこ有効な武器として機能しているように思える。
それでもそれに油断すれば、化け物達には敵わないのだから、
もう決して天狗にはならず、終わりの日まで武器を鍛える努力を忘れず、
己の弱さに向かい合い、敵の弱さを受け入れて許す気持ちを忘れないように心がけよう。


今もう一度その事を改めて整理して考えて、こうして言葉にして一つの文章にまとめてみた。


一つの纏まりを設けて振り返ってみると、
最初に自分は頭が悪いと気づいたあの日の自分が、もしも今の自分を見ることがあったとしたら
それはもう化け物に見えるのかもな?
そんな風にも思えた。


実際はそうではない、ほとんどいつでも
覚悟を決めるべきなのか、それとも生き延びる為にはカッコ悪くても逃げ出すべきなのかを悩み続けているほどか弱い存在なのだから、
敵の弱さを受け入れて許す気持ちを一層深めなければいけないし、
己の武器を磨く努力も、己が終わるその時まで決して終わることはないと肝に銘じるのだ。

八百万の神

いますごい仮説をたてた。
日本に伝わる八百万の神々というのはどういう存在なのかについてだ。
この八百万の神々という時の神というのは一神教の神とは全く異なるモノなのは間違いないが、つまりそれってどういう事なのかについての仮説だ。


八百万の神々という時の神というのは、要するに「人ではない何か」を指す言葉なのではないか?


この仮説どうだろう?
的を得ているような気がしないだろうか?

英語の形容詞の順番 - English adjective order

すごい久しぶりに書く。


ところであっしは英語が話せねえ。
話せねえが、プログラミングの道具として常に英語のセンスは磨いていきたいと思い続けている。
どんなに下手でも間違ってても、そこはできるだけ英語っぽく頑張りたいところじゃない?
(やっぱりプログラムの識別子としてカナや漢字を使うのは性に合わねえという愚痴でもある)。


そんなわけで本日は英語の形容詞の順番について、(いま知ったので)書いておこうと思う。


英語の形容詞をナチュラルに並べる時には、形容詞の種類によって順番があるらしい!シラナカッタ!
ざっくり

  1. Opinion(主観)
  2. Size(大きさ)
  3. Age(時間)
  4. Shape(形)
  5. Color(色)
  6. Origin(由来)
  7. Material(素材)
  8. Purpose(目的)


この順番に並べるのが自然らしい!
これはゲームでランダム生成される武器の命名ルールにも使えそう!?


A pretty large old round black European wooden shooting sword!
可愛くて長くて古い、丸くて黒い洋風で木製の撃つ剣!


いや、変な気がしてきた。。。