周りのみんなは自分より随分と頭がいいと気づいたあの日

自分はどうやら周りの人達と比べて、随分と頭が弱いのだ。
周りの人たちをみていると、すごく難しい問題をざっと鷲掴みにしてひょいと放り投げているように見える。
とんでもない化け物達だ。
それに比べて自分の頭の弱さときたらどうだ?
とても同じ真似はできそうもない。
それでもこの化け物達と渡り合って生き抜くためにはどうしたらいい?


自分にとって、周りの化け物達に対抗する武器となり得るように思えたのは理詰めで考える事だった。
頭が弱いからこそ、
一度に多くを把握できないからこそ、
感覚だけで把握するのではなく、理屈を積み重ねる。
理屈を武器にして把握するのだ。


理解できる小さな仮説を積み重ねる。
積み重ねて勝てると思える仮説が立てられればよい。
勝てると思える仮説が立てられなければ、別の視点から始めて仮説を積み重ねる。


もしも今の自分のもてるあらゆる視点からの仮説群のどれ一つとして満足がいく仮説に思えなかった場合は、
もっともマシに思える仮説で、腹をくくる覚悟……ダメだった時に自分のケツは自分で拭く覚悟を決めて大博打に出るのか、
それとも潔く敵わない事を認めて、相当にカッコ悪いが、生き延びるために逃げ出すのか決める。


覚悟だ。


もう子供のころのように斜に構える事がカッコイイとは思えなくなった。


己の信じる武器を常に鍛え続け、覚悟を決めて化け物達と渡り合う。
本当に敵わないと思った時はカッコ悪い事を自覚してでも、生き延びる為に逃げ出す程度の狡賢さも併せ持つ。


これでなんとか現実を今まで生き延びてこれているものの、
化け物がその気になったら潰されたであろう状況を、
どれだけ見逃されてきたか、許されてきたかを考えれば、斜に構える無礼などもはや許されると思えない。


幸いにして、己が武器と決めて鍛え続けてきて、今後も鍛えることを怠らないと決めている理詰めは
見当外れではなくそこそこ有効な武器として機能しているように思える。
それでもそれに油断すれば、化け物達には敵わないのだから、
もう決して天狗にはならず、終わりの日まで武器を鍛える努力を忘れず、
己の弱さに向かい合い、敵の弱さを受け入れて許す気持ちを忘れないように心がけよう。


今もう一度その事を改めて整理して考えて、こうして言葉にして一つの文章にまとめてみた。


一つの纏まりを設けて振り返ってみると、
最初に自分は頭が悪いと気づいたあの日の自分が、もしも今の自分を見ることがあったとしたら
それはもう化け物に見えるのかもな?
そんな風にも思えた。


実際はそうではない、ほとんどいつでも
覚悟を決めるべきなのか、それとも生き延びる為にはカッコ悪くても逃げ出すべきなのかを悩み続けているほどか弱い存在なのだから、
敵の弱さを受け入れて許す気持ちを一層深めなければいけないし、
己の武器を磨く努力も、己が終わるその時まで決して終わることはないと肝に銘じるのだ。