恵まれた者の責任

TV でも「ボランティアも支援物資も支援金もいくらでも必要だけど、負担になるボランティアは困るし、必要な物とありがた迷惑な物がある。」という話がでていたりする。
この状況下で、何か手助けをしなければいけない、手助けをしたいと思っている人が沢山いるということの表れだと思う。
自分も何か、然るべき手助けをしなくてはいけないのではないかという気持ちが、外圧によってではなく、自分の内側から湧き上がってきているのを感じている。
恐らくは、被災地ほどではないにしても大きな揺れを体験し、その後も日常的ではない諸々の出来事が続いているからだと思う。
決して富裕層ではないので、ノブレス・オブリージュだと言うと大げさかもしれないが、何か為さなければいけない、何かをする責任があるような気がしている。
現代日本に産まれて、そりゃいろいろあったけれど、三食食うに困らず、寒い日には暖かい所で、暑い日には涼しい所で、暗ければ灯りをともして生きてきた、恵まれていた、恵まれた者の責任があると感じる。


で、じゃあ何ができるの?という所。
いろいろ手助けできる事があるに違いないが、ありがた迷惑にならない事で、誰でもできる事があると気が付いた。


被災地の迷惑にならないように、自分の事をしっかりやる。


当たり前だけれど、とても大事。
「買い占め」のせいで被災地にまわす物資が少なくなってるなんて話が出ているけれど、被災したわけでもないのに買い占めなくてはいけない理由は一つ。
あらかじめ、しておくべき準備をしていなかったから。
つまり、自分の社会的責任(自身の所得に応じて、自分の為、家族の為、地域の人の為の防災用の備え)が果たせていない人が土壇場になって買い占めるのだ。
自分も今回の事で、自分の至らなさに気付いた。


まだ被災地の為に自分個人が直接できる事は見いだせていないけれど、そんな所が自分のスタート地点だ。