ばあちゃんが亡くなったので北海道行ってた

先週末、父方の祖母が亡くなったので北海道に行っていた。
だいぶ前から「もう危ない」って言われ続けていたので「ついにか……」っていう感じではあった。
一昨年の夏に法事で行った時点でももうほとんど反応なかったので、ずいぶん長い間ギリギリの状態で生きてたんだと思う。
もしも天国があるとしたら、じいちゃんとウチの父親が先に待ってるから寂しくないね。
長い間、本当にお疲れ様でした。


それで……ばあちゃんは孫が結婚する時の為に、全員分お祝いのお金を用意していて、孫の中で結婚がまだなのが3人いるという話に……。


はーい。俺ですね。
後の二人は叔父さんの所の従兄弟二人で俺より年下、つまり未婚の孫の中の最年長は俺。


「まだなのか?」と散々言われる年齢になったのだなぁ。。。
全く予定がないんですけど。


話は飛ぶけど仏教。
仏教ってキリスト教とかと比較して、比較的現実主義に近い気がする。
読んでいたお経に「無常である事を知り、無常である事を受け入れれば、無常である事は恐れることはない。」というような部分があった。
あの世とか天国とか来世とか言わない、俺もお前もいつかは完全な終わりが来る、それを受け入れれば、何の因果かこの一瞬の命、自我、"cogito, ergo sum" と思っている自分がある事がただただ有難い事なのであって、必要以上にはそれに固執する事もなく、よりよく生ききれば良いのだと思えるようになるという意味だと自分は解釈した。


自分の信条が無神論ではなく不可知論なのだと気付いてからそんなに日が経ってないにも関わらず、実は自分は(形式だけでなく)普通に仏教徒なのかもしれないと思った。


まあ、そんなこんなでお通夜と葬式をして帰ってきた。
北海道民(親戚達)も、ウチの母親と姉夫婦も寒い寒い言ってたが自分は韓国での二度の越冬を経て、並みの寒さではへこたれないようになっていたので「うん、まあ寒いね。」っていう感じだった。
ウチの父親もそうだったけど、道民は実は寒がりだ。
多分、寒くない所で生まれ育ってから寒い所に慣れた人間のほうが寒い寒い言わないようになるのだと思う。
まあ、真夜中に外でタバコ吸ってた時は多少寒かったけど。