楽化力もしくは楽しさ想像力と自分の置かれた窮地について

昨日、ノラないながらも朝、「モチベーションは楽しさ想像力から」だっけ、あれを読み返してテンションをあげた。
今、窮地を再び前にもう一度考えてみて、以前にも読んだダンコーガイがその本に触れているブログのエントリももう一度読んだ。


うん、今自分が置かれている状況をゲームだと思うことにしよう。
ドラクエ1の戦闘だとするとコマンドは4つある。
『たたかう』、『にげる』、『じゅもん』、『どうぐ』だ。
とりあえず、このまま『たたかう』を続けると負けるであろうと予測している自分がいる。
『にげる』のペナルティはゲームより現実のほうが高いので選びたくない。
であれば『じゅもん』か『どうぐ』なのだ。
ラリホーベホイミが使えるかもしれないし、やくそうも持ってるかもしれない。ちょっと現実の自分にどう当てはまるのかわからないけど。
とにかく、今は工夫して難局を乗り切るべき場面で、きっとその工夫は楽しいものになる。
馬鹿みたいに『たたかう』だけの人生じゃダメなのだ。
どうやって難局を乗り切るか、これからも乗り切っていくか。
楽しく、楽しく工夫する。
それはまるでゲームのように楽しめるはずだ。

※追記という名の言い訳
どうせ『たたかう』では負けるのだし、工夫して勝ちにもっていくのは背任じゃない。
なんか『たたかう』以外を選ぶことを背任行為のように感じていた自分が、昭和的世界観すぎるのだ。
俺の勝利と会社の勝利が一致している限り、俺が勝ちに行くのは問題ない。
逆に負けたら余計に迷惑だ。