時々、世界について考える

時々、世界とか宇宙とか、そういうとりとめのない物について考える時がある。
この国に生まれて、無宗教だからこそ見える世界があって、
コンピュータのソフトウェアを書くスキルがあるから見える世界があって、
明日、何があるかわからないから時にはそういう物を残しておきたいと思うときがある。


街を歩いていると、どこぞの怪しい宗教の人が
「神の王国がやってきて、信者は復活します。」
なんてのを垂れ流してたりする。


自分には信じられない。
人は弱い生き物だから、時としてそういう言葉に救われたいと思うだろう。
実際に救われる人もいるだろう。
でも、何の因果か自分はそういう物を信じなくいい世界に生まれて育った。


信じれば復活させてくれる、そんな神様はいないと思う(そういう教義の宗教を信じてる皆さんゴメンナサイ)。


死んだら自分という個性は終わる。
復活も転生もない。


それでも、世界は、宇宙は一つなんだと思う。
誰かが嫌いな誰かも、自分も、はじめから一つなんだと思う。
道端に転がる石ころも、夜空に広がる星も、
今、自分に見える範囲、知覚できる範囲の物事は
究極的には全て一つなんだと思う。


その中で、ほんの一瞬、有機的な作用が一部に起こって、
小さな小さな塊が自分という意識を作り出してる。


それは本当に不思議なことで、且つありがたいこと。
褒めてくれる神様はいない、断罪する神様もいない、全ては一つなんだから。
それでも美しく生きたい。
いつの日か、ホメオスタシスが保てなくなって、自分という個性が消える日が来るだろう。
誰も褒めてはくれないし、責められることもない。
ただ理の中に混沌と化した自分が消えていく時、
自己満足でもいい、美しく生ききったと思いたい。