俺の世界にはまだ、鶏も卵もない。

書きながら考えを整理してみる。
手段と目的が入れ替わった時にしか情熱を見出せない自分に気づく。
よく考えると自分の人生自体がそうだった。
極々幼少期を除けば「お勉強」は嫌いだった。
俺が何か物事を勉強した時は *知りたかった* 時だけだった。


何のために知らなければいけないのかわからない事を「学ばせられる」事からは逃げていたと思う。
「知る」という目的の手段としての「学ぶ」は喜びだった、
その時、当初の目的の「知る」を忘れるくらい「学ぶ」事が喜びだった。


えと、ここまで書いてわかったこと。
自分は会社人として終わってるんじゃないか?


共感できない目的に向かって、理解できないタスクを与えられる環境(≒世間一般でいう会社)に
自分は向いてない。少なくとも末端として所属するのに向いてない。


さて、じゃあ起業する金とコネと知恵と勇気があるのかといえば、ない。
今よりもっと若かった頃はこの中で勇気くらいはあった(今よりもっと世間知らずで無謀だったということだ)。
今では、勇気さえもない(いくらか小ざかしい知識がついたということでもある)。


共感できるリーダーについていけばいいんだけど、
優れたリーダーはすぐにある程度の組織は持つから、自分より上の人達が全員共感できる可能性が考えられるのは、
その夢のリーダーが旗揚げした直後のわずかな時間しかない。
そして、それに掛けるのは自分がリーダーになるのと…同じとは言わないが…同じような高いリスクを負うことになる。


そして、そんなチャンスが巡ってくるのかどうかすらわからない。
コネがないから余計に低そうだ。
結局、世のピラミッドの(体積の)真ん中より下側は常に負のスパイラルにいるのかもしれない。



俺の世界にはまだ、鶏も卵もない。