ところで

↑で日本語表音文字化論者側の意見を書いた。
さて自分はそちらの立場なのか?というと、
過去形で「漢字廃止論者だった」というのが正しいと思う。
韓国に興味を持った一部分としても
元漢字使用国が漢字を廃止したらどうなるのか見てみたい、という類の興味があったことも事実だ。


元々、自分が漢字廃止論者だったのはある種の逆恨み、弱めのトラウマである。
小学校4年の時の担任が毎週一回、漢字テストをした。
間違えた漢字はその日に居残って間違えた部分1箇所につき10回ずつ書かなければいけなかった。
毎週、遅くまで居残りをさせられたのがちょっとしたトラウマとなり、
漢字擁護論者というのはお節介で強引だという固定観念が植え付けられ、
その後長らく漢字廃止論の方に魅力を感じていた。


今だから解るのだが、そりゃあただの逆恨みである。
あの先生はむしろ親心であったのだろう
"漢字もわからないまま社会に出たらこの子達が可哀想"だと。
しかし、当時は思想の強制にしか感じなかったし、
実際、あの先生のせいで"漢字が苦手"から"漢字嫌い"に決定的に悪化したのは間違いない。


そして、漢字の学習コストはもっと安く抑えるべきだ、というのが
今の自分の解答である。
まず、漢字万歳なんでも漢字という方向性はやめるべきだと思う。
カナで問題ない範囲、アルファベットを適用すべき範囲は
しっかりそちらを使うべきだ。"巴里"と書くより"paris"と書け、と思う。
そして、中国大陸のやり方を真似るのは癪に障るのだが、
彼らのごとく、もっと大幅に漢字の字形を簡略化して、学習のコストを低く抑えるべきだと思う。
日本語表音文字化派であると明言しながら生きていた当時、
周囲の"常識派"から耳がタコになるほど聞いた話の一つに
"表意文字だから読みやすいのだ"というのがあるのだが、
字形を簡略化してもその利点は失われないはず、
むしろパターン認識しやすい形を考慮しながら簡略化すれば
その利点はさらに磨きがかかるはずだ。


つ、次は中国に行って見るかなぁ(爆)